母が認知症に|介護の専門職なのに両親を支える難しさ

訪問介護

この記事は、介護の専門職として働く私が、自身の母の介護、認知症と向き合うまでのエピソードです。

私が両親と同居を始めたきっかけは、30年ほど前に夫の海外赴任が決まった際、長女が日本滞在を選んだことです。娘の学校のこともあり、私たちの家に両親を呼び、娘の生活を支えてもらうことにしたのです。

その直後、父が脳疾患で倒れ、母は父の介護から娘の世話まで一人で切り盛りしました。当時、年に数回しか帰国できなかった私でしたが、近所の人たちに助けられながら母は元気にその役目を果たしていました。いわゆる一家の大黒柱です。そんな母を見て、父の介護の役に立てば…という思いで教育の世界から「介護」の仕事にシフトした私です。

あれから、ずいぶん長い時間が過ぎました。当たり前だったものが当たり前でなくなる、そんな経験が目の前にあります。

いつか自分の親にもという思いで介護職に就いた方もいるでしょう。しかし、実際は思い通りにいかないこともあります。私のエピソードが誰かのお役に立ちますように。

母は、私たちが(先に小学生になった娘と一緒に)帰国した後も、仕事を始めた私を応援し、家事一切を仕切って「心配しないで、あんたは自分のやりたいことをやればいいんよ。私がしたくても出来んやったことやから。」と言い続けてくれました。

当時、ヘルパーから介護福祉士、ケアマネージャー、社会福祉士と資格を取っていき、最終的に施設の管理者や地域の委員会まで行うような位置で、出張も多く多忙な毎日でした。

介護の世界で自信満々な私は、自分の親の介護問題に直面したときも、これまで学んできたことや経験を活かして十分に対応できるものと思っていました。もちろん、自分の母が認知症になって精神病棟で治療をするようになるとは夢にも思っていませんでしたし。

しかし、実際には介護の専門職としての知識やスキルがあっても、家族としての感情が絡むと、在宅介護は想像以上に厳しいということがわかりました。
ほんの数カ月前から、母が少しずつ「おかしい」と思われるようになってきたのです。

父は脳疾患の後遺症で右半身が麻痺し、要介護2でした。父が在宅で生活できていたのは全面的に母の介護のおかげです。しかし、そんな両親と同居して何とか過ごしていた生活が、母の状態の変化からガラガラと崩れていきました。

父と母、母と私、私と夫の毎日の口喧嘩や憤り。その後、最終的に母が庭のテラスで転倒して骨折・入院・手術・認知症状の悪化と、具体的に状況が変わっていきました。

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母は軽度の物忘れから、徐々に日常生活に支障が出るようになりました。鍵や財布、時計などどこに置いたかわからなくなる。しかも「あんた、私の○○どこ持って行った?」とけんか腰に聞いてくる。

出かけることが好きだったので近所に買い物に行っては同じもの(うどんの出汁や乾燥わかめなど軽いものが多かった)を幾つも買ってくる、財布の中が小銭でいっぱいになる、寝間着に着替えない、入浴しても普段着のまま寝てしまう、という感じでした。

しかし、その頃まで私は、「この程度であれば、一人で習い事にも行けてるし。まだ大丈夫。」と思っていたのです。そのうち、尿失禁が多くなり尿取りパットや紙パンツの使い方を教えてもなかなか使ってくれない母は、「私は汚してないし、そんなことしていない。私じゃない。」と言い張る。「ちゃんとして」「なんで出来ないの?」と毎日が大ゲンカでした。汚染した下着をベッドの下や洗濯機の中に隠すなどの行為が出てきて、遅まきながら私は、「これは、病院に行かなければ…」と思い立ち、近所の病院に「健康診断だから」と母を説得して連れて行くことが出来ました。

脳のCTや認知症のスケールで調べてもらいましたが、その時は、「認知症ではない」と医師から言われて「良かったね」と母と二人で安心したことを覚えています。とりあえず、認知症の薬(アリセプト)をお願いし、「骨が脆くなっているから」と骨粗しょう症の薬も出してもらいました。もちろん降圧剤や血流を良くする薬も。

※認知症の臨床評価について

それでも、毎日の周辺症状は止まず、良かったり悪かったりの繰り返し。私は仕事をしているので家を不在にしている時に母がどのように過ごしているのか、また続けている習い事で他人に迷惑をかけていないか、不安だらけでした。

実のところ、私には「この状態がまだ何とか続いてくれる」という思いがあったのでしょう。研修や講義であんなに、『早い治療や介入が必要』、『叱咤激励より受容が大切当』と言い続けていたのに…。自分事ではなかったのですね。

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そのような中でついに母が転倒し骨折してしまいました。医師から言われるまでもなく入院や手術のリスクは十分に分かっています。それでも、「母はきっと大丈夫」とそこでも根拠のない自信があったような気がします。

入院中、母の状態は急速に悪化しました。入院前は多少の物忘れや失禁が見られる程度だったのが、退院時には帰宅願望が強くなり、夜間の徘徊や混乱が頻繁に起こるようになったのです。認定の結果、要介護4(ビックリしました!)が出ました。ショックでした。

一方、父も母の入院が長引くとともに、依存度が高くなり夫と揉めることも多くなりました。父は、デイケアに通いながら食事の世話や薬の管理等を母にしてもらっていましたが、母が崩れていった頃から並行して父の体調も下降していきました。一時は杖で母を殴ろうとした父でした。夫婦って不思議なものです。

私自身、介護の専門職として長年の経験がありましたが、両親の介護が同時に必要になるとは、想像に難く、また、その負担は予想以上に大きく、家庭での介護がどれだけ困難であるかを痛感しました。

今後、両親二人を在宅で介護することは、専門職としてのスキルを持っていても非常に難しいものでしょう。

父は身体障がい、母は体が動く認知症。

さらに、父と夫との関係にも影響が出始め、専門職としてどれだけ経験を積んでいても、家族としての感情が絡むと、冷静な判断ができなくなることもあります。

「もう、死んでくれ」と、言いたくなったこともあります。

「これは、自宅で介護を続けるのは無理だ。二人で何とか生活できる方法を考えてみよう。」と思いました。

在宅で介護を続けるためには、介護を受ける人とのいくらかの距離感と一緒に今後を考えてくれる人が必要です。

母の要介護度が出て、父のケアマネージャ-に何度か相談をしました。要介護4の母の処遇が一番のネックです。

最終的に、私は両親をサ高住に転居させる決断をしました。この決断に至るまでには多くの葛藤がありました。

専門職として、自分が両親を最後まで自宅で介護すべきだという思いもありましたし、家族として親を施設に預けることに対する罪悪感もありました。

しかし、両親二人とも介護が必要な状況で、安全な屋内移動が難しいという具体的な事情もあります。

専門のサポートを受けることが最良の選択だと感じたのです。

サ高住は、自分たちの裁量で生活ができます。バリアフリーで車いすでも屋内を自由に動けること、外出や面会も自由なことです。『破れ鍋に綴じ蓋』の両親にとって、足りない部分を夫婦で補っていけば何とか暮らして行けるのではと私は考えました。父が母の支えになれると思ったのです。

近隣の施設をケアマネが見つけてくれて、スタッフの対応や施設の設備に安心感を抱き、私たちもこれなら両親を預けることができるのではないかと感じました。特に、母の認知症にとっても父と一緒に過ごす生活が良い影響を与えてくれるのではないか、と思ったのです。

でも、そんなにうまく事は運びませんでした。

結局、契約の前に父が不定愁訴で入院。母は現在リハビリ目的で入院している病院から精神病棟での治療を勧められている状況です。

最近は、父は身体の状居を見てサ高住へ転居し、母は特養かGHでしか介護ができないのではないかと思っています。母が特養に入所すれば、いずれ父の介護度が上がった時に一緒に暮らせるかもしれないと思うのです。

でも、今年父は90歳、母は89歳。「いずれ…」は訪れるのでしょうか。

それとも、当初の予定通り両親ともサ高住に転居してもらう賭けに出るか。

私が介護職の人たちに言ってきたこと・利用者に行ってきたことは、やはり相手が他人であったからできたことなのだと痛感しました。ならば、他の介護職の人たちに我が両親を介護してもらうことが一番妥当なのではないかと、今は考えることができます。

介護の専門職として働いていると、どうしても「自分ならできる」という思いが強くなります。

しかし、家族の介護においては、一人で全てを抱え込むことはできません。サポートを利用することが重要なのはわかっているけれど、身内の思いが勝ってしまう事実がありました。むしろ、知識があることで迷うことや焦ること、不安になることやジレンマに陥ることが多くあります。

そういう時、同じ悩みを分かち合える友人がいたら一番の力になるかもしれません。また、肩ひじの張らない兄弟姉妹やパートナーと話し合えることも重要です。

介護の専門職として働く皆さんには、まず自分自身のケアを大切にしてほしいと思います。介護の専門職としての誇りや責任感は重要ですが、それが時に自分自身を追い詰めてしまうこともあります。

自分の限界を認め、他者の支援を受け入れることも、介護の専門職としての重要なスキルの一つです。

在宅介護には確かに限界があり、介護者自身の健康や家庭内の関係にも大きな影響を与えます。私自身、専門職としての知識やスキルを活かしつつも、家族としての感情や疲労が重なり、在宅介護の難しさを痛感している最中です。

母の変調からたかだか一年足らずで怒涛のように展開していった介護の日々です。在宅で長いこと親の介護をしている方々の苦労はいかがなものでしょうか。

もし、同じような立場で戦っている介護の専門職の皆さんがいたら、自分一人で抱え込まず、周囲に積極的に助けてもらうことが大切だと思います。なかなか、思うような結果は得られませんが。

家族の介護は決して一人で行うものではありません。

専門職としての視点を持ちながら、その知識や経験から最良の選択を見つけるための柔軟な判断や多くの選択肢が得られます。私も介護の現場で得た経験を生かしつつ、家族としての役割も大切にしていくつもりです。

さてさて、これからどうなっていくんでしょうか。今後、母の認知症の具合や父の転居について、お知らせできる機会がまたあればいいなと思います。

投稿者プロフィール

Mrs.マープル
Mrs.マープル
介護福祉士・主任介護支援専門員・認知症ケア専門士・社会福祉士・衛生管理者・特別養護老人ホーム施設長・社会福祉法人本部長経験と、福祉業界で約25年勤務。現在は認知症グループホームでアドバイザー兼Webライター。

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